「迷惑」という方向性で、しばしば世間を騒がせている「撮り鉄」。
何が楽しくて「撮り鉄」をしているのでしょうか。なぜそんな迷惑をかけてしまうのでしょうか。
私も元「撮り鉄」で、レアな列車から普段着の列車まで、全国各地で撮影した経験があります。
また鉄道ライターとして、プロの鉄道カメラマンさんたちとご縁もありました。
そうした立場から、「撮り鉄」について考えたいと思います。

存在する「迷惑系撮り鉄」
まず最初に。
ひとくちに「撮り鉄」といっても様々なタイプが存在しており、ひとまとめに語るのは難しいです。
大多数の「撮り鉄」はマナーを守り、協調し、迷惑をかけないようにしています。
ただ、そうでない人、そうでない状況があるのも事実。
ここではそうした「迷惑系撮り鉄」へ焦点をあてます。
「撮り鉄」の思考回路とは?
何が楽しくて「撮り鉄」はそうした写真を撮っているのか、疑問に思う人は少なくないようです。
しかし、最初に結論を言うと、そんな「撮り鉄」の思考回路は多くの人々が持つものと同様で、人間として珍しいこと、変なことは何もない、と思います。基本的には。
「レアポケモンがいたら、ゲットしたくなる、集めたくなる、見せびらかしたくなる」
「限定アイテムがあったら、欲しくなる、集めたくなる、見せびらかしたくなる」
根っこはそれと、一緒です。
対象が「鉄道」という、そこに価値を見いだす人が多くはないものなので、奇異の目で見られがちに思いますが、一緒です。
「ゲットだぜ!」するには
「鉄道」の場合、それを「ゲット」する方法のひとつが「撮影」で、そのためには「確実にゲットできる環境」の確保が必要になってきます。
「確実にゲット」は、「列車が綺麗に写っていて、かつ余計なものが入っていない写真を撮ること」でしょうか。
そうした写真が撮れる場所は、多くはありません。綺麗でなかったり、余計なものが入っていたりすると、失敗です。
人間が入っている写真も趣があっていい、とか、そういう次元の話ではありません。そもそもそれは、求めているものではないからです。

普遍的な「レア」への欲望
「レアもの」に対し、多くの人がそれを求めて集まってくるのは、「鉄道」に限った話ではありません。
なので「レア列車を確実にゲット」しようとなると、場所取りが熾烈になります。
そして、こうした思いがつのりすぎると、自己中心的な考えにとらわれ、邪魔になるものへ対して攻撃的になり、「自分さえよければ」と、暴言や公序良俗に反する行動が出てきて、「迷惑系撮り鉄」へ闇堕ちします。
バーゲンセールが「戦いの場」のように描かれているアニメやマンガ、ありますよね。そんな感じもします。
というか、「撮り鉄」の現場はマナー、ルールが守られている限り、それよりずっと平和だと思います。
ひな壇は「秩序」
しばしばホームの端や線路脇に、組み体操のような「撮り鉄」による「ひな壇」が形成されていることがあります。
奇妙に見えるかもしれませんが、これは「レアものをゲットしたい」という欲望のなかにも、一定の秩序が作用しているからこそでしょう。
レア商品の発売にあたって店の前で列を作っている人と、変わりません。
店の前に並んでいる人が、喫煙したり、ゴミを捨てたり、店の迷惑になるようなことをしたらマナー違反、ルール違反です。
ひな壇の「撮り鉄」も、黄色い線から出たり、私有地に踏み入ったり、乗降の邪魔になったり、そのほか鉄道会社や現地住民の迷惑になるようなことをしたらマナー違反、ルール違反です。「撮り鉄」という世界のなかのマナー、ルールも守らねばいけません。
駅などの公共の場所で写真を撮ること自体が迷惑、という観点はいったん、おいといてください。
撮影の瞬間はアドレナリン大量分泌
とはいえ、しばしば「撮り鉄」が鉄道会社や無関係な人たちに迷惑をかけている、というのは事実で、「迷惑系撮り鉄」は現実的な問題です。
もっとも「店の前で並んでいる人」に関してもトラブルは発生するので、単純に「撮り鉄」だからそうなる、とはならないでしょう。
「Nintendo Switch 2」を店頭先着販売だけにしたら、悲惨な状況になりそうなこと、想像しやすいと思います。
しかし「撮り鉄」の撮影場所確保は、先着順です。
いい場所が取れなければ、どこか別にないかとなり、「撮りたい」という欲望のままに、事態がエスカレートしていきます。
モラルのハードル、コンプラ意識が低い人から、それを飛び越えていきます。
また「レア」であること、集まった多くの人々の熱気によりその場が「非日常の空気」になっていることが、アドレナリンの分泌を増進させ、“ジャンプ力”を高めます。
そして響く罵声、パトカーのサイレン。列車は急停車。
また、ちょうどシャッターを押そうかというタイミングで、無意識的に(もしかすると意識的に?)他の人の邪魔をしてしまう、レベルの低い「撮り鉄」もいます。無意識的に(もしかすると意識的に?)割り込みしてきたり。
そういうときに罵声を発したくなる、マナーを守っている「撮り鉄」の気持ち、分からなくはないです。アドレナリンも出ています。
でも、罵声はダメです。

「短時間」を都合のよい言い訳に
「撮り鉄」は、その目的が「撮影」という短い時間で実施する行為であることも、マナー違反、ルール違反が発生しやすい背景にあるかもしれません。
その一瞬にババッとやってしまうことができ、「一瞬だけだから、ちょっとだけだから、撮ったらすぐ移動するから」という都合のよい言い訳をしやすいのです。
もうちょっとだけ、もうちょっとだけ……としているうちに、一線を越えてしまったり。
「少しのあいだだから」と、撮影のために迷惑駐車をしたり。これは「撮り鉄」に限りませんが。
「これぐらいなら大丈夫だろう!」といった、都合のよい自分ルールと複合する場合もありそうです。
アドレナリンの分泌、興奮により、「少しだから!」「大丈夫なはず!」の基準も緩くなっていきます。
「わざとじゃない」という気持ちも理解できなくはないですが、免罪符にはなりません。
悪質な例
「見つからなければ大丈夫」とか、「バレなければ大丈夫」とか、「当たらなければどうということはない」的な考えをする人もいます。
こちらは明らかに悪質です。
ただ残念なことに、これも「撮り鉄」に限った話ではありませんが、世の中にはそういう悪質な人が存在します。
「闇堕ち」してそうなった人もいれば、最初から「闇堕ち」するまでもない人も、世の中には存在します。
また、悪質云々の概念を越えて、善悪の判断自体がそもそも難しい人も、世の中には存在します。

「道」を踏み外しやすい撮影現場
「撮り鉄」の基本的な思考回路は一般的な人間と変わらず、モラルやコンプラの意識が低い人、品性に欠ける人、場の雰囲気に流されやすい人、自分勝手な人、そもそも秩序とモラルのある文明社会に向いていない人の存在が、「迷惑系撮り鉄」発生のおもな原因だと思います。
それら原因は、「撮り鉄」だから持っている要素ではなく、「人間」が持っている要素ですよね。
「撮り鉄」は、個人の欲望を満たすため、公共の場で行うものなので、そうした「人間の醜さ」が直接、社会に暴露されてしまいます。
そして、迷惑を受ける人が出てきます。
「人間」としてまっとうに生きようと努力している人たちから、「迷惑系撮り鉄」がその人間性について蔑視されるのも、逮捕されてほしい、罰を受けてほしいと思われるのも、当然でしょう。
「迷惑系撮り鉄」は「撮り鉄」として問題があるのはもちろんですが、それ以前に、社会で生きるひとりの人間として問題があるのです。

そうした「迷惑系撮り鉄」も、普段は善良で、静かな人かもしれません。
しかし「撮り鉄」の活動場所は公共の場で、そうした「人間の醜さ」が発露されやすい状況になりがち。本性が出てしまうのでしょうか。
「撮り鉄」は、「人間性が問われる趣味」だと思います。
意図的に「よくない」とされていることをやって、喜んでいる人もいますが、これも「撮り鉄」に限った話ではないので、おいときます。
また、人が増えてくると変な人が混ざる率が高まってくるのも、「撮り鉄」に限った話ではないでしょう。
ただ、「撮り鉄」は「鉄道」への思い入れによって発生し、それが行動に強く影響する趣味であるため、「自分勝手」「周りが見えない」「偏っている」という人、状況が比較的、発生しやすいかもしれません。
小学生のような言い訳
駅で、駅係員の指示に対し「何の権限があるんだ! そんな法律があるのか! 本社に通報するぞ!」などと謎の文句をつけている「撮り鉄」がいたりもしますが、もうなんというか、「小学生か!」って感じですよね。
実際、こうした混乱する「撮り鉄」の現場には、中学生、高校生の「こども」も少なくなく、その未熟さがトラブルにつながっている場合もあります。
「何の権限があるんだ!」的な発言を、中学生や高校生がしていることも、珍しくないかもしれません。
「こども」に対しては、期待を込めて大目に見たい気持ちもなくはないですが、成人ならそうした馬鹿な発言をしないかというと……ああ、これが「見た目は大人、頭脳は子供」ってやつですね。

その写真に価値があるのか?
列車が綺麗に、余計なものがなく映っているという、「撮り鉄」のお手本的な写真。
「撮り鉄」ではない人からは、「テンプレみたいな写真を撮って何が楽しいの?」とも評されます。
人が何に価値を感じ、感じないのか、それについて他人がとやかく言うのは野暮でしょう。
ブランドものの何かに対し価値を感じる人もいれば、いない人もいる、それと同じです。
また、往々にして人間は一定のコミュニティのなかで生きており、そのコミュニテイによって価値観も異なります。

犯罪者扱いされても仕方がない
マナー違反の写真、ましてや非合法の場所から撮影した写真なんて、とてもじゃないが他人に見せられない、そんなものを見せたら犯罪者扱いされても仕方がない、と私は思います。
なので、そうした撮影する人の気持ちは、正直、わかりません。
犯罪者コミュニティのなかでは、極悪非道、悪辣さが逆に価値になる場合がマンガやアニメの世界でありますが、そんな感じなのでしょうか。
それとも、完全に自分だけで眺めて楽しむのでしょうか。
私だったら、その写真を見るたびに恥ずかしくて、消えてしまいたくなりますが……。
厳しくなったルール
マナー、ルールについて、たとえば「ここまでだったら線路に近寄ってもよい」という感覚は、昔のほうが緩かったです。
鉄道用地に入り込まないと行けない場所が、有名撮影地として書籍に載っていたり。
そんな場所にJRの係員がやってきて、「撮り鉄」へオレンジカード(かつて存在した国鉄、JRのプリペイドカード)を販売したり。
だからいま、トラブルになっても仕方がない、というつもりはありませんが、このあたりの感覚がアップデートされていないと、問題につながることもあるでしょう。

プロは「レア列車」を撮らない?
「レアな列車の写真」がどれぐらいの価値を持つかについて、鉄道趣味の世界、そうしたコミュニティのなかでは、価値を持つ場合があるでしょう。
ただ広く一般的には、難しいところです。
プロの鉄道カメラマンにとって、写真は「商品」です。つまり、その写真を使って何かをしたい企業、団体が、お金を出しても使いたくなる写真を撮らねばなりません。
そうした「商品」になる写真は、新型車両や、鉄道で出かけたくなる旅情満点のものなど、鉄道会社がその営業で使える写真――広く一般に対するPRになるものが多いです。
「鉄道ファン」という限られた人しか価値が分からない写真は、需要が少ないということになり、「商品」になりにくいです。
なので、写真で食べていかねばならないプロの鉄道カメラマンは、レアな列車の写真を、少なくとも積極的には求めていない印象があります。
写真以外も優れているプロ
その仕事で生きていこうとしている、プロの鉄道カメラマン。いい写真が撮れるのは当たり前で、営業力、提案力、コミュ力、共感力、機動力、そして一緒に仕事をしたくなる「人間」としての信頼性など、写真以外の能力も高いのが、「プロ」がプロたるゆえんだとも思います。
サラリーマンではないプロの鉄道カメラマンは、写真の技量はもちろんですが、くわえて社会性、人間性、個性が優れている人が多い印象を、私は持っています。何をしても、優れた成果を出すのではないでしょうか。