JR和田岬線とその駅、列車、沿線などについて、鉄道ライターの恵 知仁が個人的な経験に基づき、ご紹介します。何かのお役に立てましたら幸いです。
内容は正確を期すよう努めていますが、記憶違いが紛れているかもしれません。写真はトリミングしている場合、現在とは異なる社会的状況で撮影された場合があります。
路線の概要
- 区間・距離・鉄道会社
- 兵庫~和田岬、2.7km、JR西日本
- 駅
- 兵庫、和田岬
- 補足事項
- 実際は山陽本線の支線で、「和田岬線」は通称です。
列車
普通列車(旧型客車)
- JR線で唯一、旧型客車を定期列車として運用。
- 臨海部の工場への通勤輸送が主体で、日中の運転はなし。
- 休日は朝1往復、夕方1往復と、わずか1日2往復だけの運転。
- 通勤路線のため、旧型客車は座席の大半を撤去。
そんな個性的要素ばかりだった和田岬線に一度は乗ってみたいと思っていた、当時、埼玉県で中学生をしていた私。1989年(昭和64年)1月1日、「青春18きっぷ」と「大垣夜行」を活用し、初めて訪れることができました。
乗車したのは夕方の1往復。兵庫駅16時57分発、和田岬駅17時03分着の531列車、和田岬駅17時30分発、兵庫駅17時36分着の532列車です。
電車が多数行き交う兵庫駅のJR神戸線ホームから和田岬線ホームへ向かうと、うってかわって、誰もいません。
斜光線を浴びた静寂に、ディーゼルエンジンの音が響きます、DE10形ディーゼル機関車が機回しをして、旧型客車の和田岬駅側に連結しようとしていました。
昔ながらの低いホームから、停車している旧型客車に乗り込みます。手動ドアなので、発車時刻が迫ろうとも特に開いたりはしないため、「勝手に開けて乗っていいのかな」と、内心ドキドキしながら……。駅のアナウンスなど、あるわけもなく。
ほぼ座席がない車内に、ズラリと並ぶつり革、扇風機。
無邪気な当時はシンプルに「すげー」でしたが、大人になったいま見れば、「通勤」「労働」の権化みたいな印象で、月曜の朝にこの車両へ乗ると思うと、なかなかに憂鬱な気分になってきます。朝時間帯はドアがすべて収納される山手線にあった6ドア車などと異なり、”赤”の雰囲気もして……。
DE10形には、「迎春 鷹取運転区」のヘッドマークが掲出されていました。1989年(昭和64年)の正月、昭和最後の正月でした。
ちなみに、話はまったく変わりますがこの数日後、名古屋市内に住んでいた私の小学生時代の友人から「東京に行くから連れて行ってほしい」と言われ、原宿に行きました。「昭和から平成」という大きな時代の変わり目における私の記憶は、「お上りさん」です。
当時の原宿は、タレントショップがテレビの影響で全国的に話題だったのですよ。「MARCY’S(マーシーズ)」とか。
で、原宿に行っても、世間がそんな雰囲気では全くなかったため、店がやっておらず、友人はモヤモヤしながら名古屋へ帰っていきました。