JR宇都宮線(上野東京ライン・湘南新宿ライン)の駅、列車、沿線、おすすめポイントなどについて、鉄道ライターの恵 知仁が個人的な経験に基づき、ご紹介します。
内容は正確を期すよう努めていますが、記憶違いが紛れているかもしれません。写真はトリミングしている場合、現在とは異なる社会的状況で撮影された場合があります。
路線の概要
宇都宮線は東京~黒磯間、163.5kmを結ぶ、JR東日本の路線。東京都、埼玉県、茨城県、栃木県を通ります。
駅の数は33です(東京、上野、尾久、赤羽、浦和、さいたま新都心、大宮、土呂、東大宮、蓮田、白岡、新白岡、久喜、東鷲宮、栗橋、古河、野木、間々田、小山、小金井、自治医大、雀宮、宇都宮、岡本、宝積寺、氏家、蒲須坂、片岡、矢板、野崎、西那須野、那須塩原、黒磯)。
なお「宇都宮線」は、東京~盛岡間を結ぶ東北本線のうち、東京~黒磯間の愛称です。東京駅経由で東海道線に直通へ直通する列車は「上野東京ライン」、新宿駅経由で横須賀線へ直通する列車は「湘南新宿ライン」とも呼ばれます。
車窓・旅情のオススメ
「鉄道の旅」的な観点から見ると、宇都宮線は地味ですよね。
都心から郊外へ、北関東の住宅地、田園地帯を走って行く宇都宮線。鉄道趣味的な面白さはあっても、特に「ここを見て!」と広くオススメできる車窓、見どころはないかもしれません。
ただ、関東平野の端へ近づくに従って、車窓に見えてくる日光の男体山、那須連峰は旅情を高めてくれますし、特に空気がきれいな冬場、ひとりでぽっこりそびえている筑波山も印象的。
空気が澄んでおり、標高の高い場所で雪化粧が始まっている冬が、宇都宮線の良い季節だと思います。冬の北関東は乾燥して寒く、風も強いですが……。
冬の夜、都心から宇都宮線に乗って、大宮より先の駅で下車すると、気温が1~2度、都心と比べて低い感じがします。
途中下車のオススメ
宇都宮駅
宇都宮線で途中下車にオススメなのは、まず宇都宮駅が挙げられます。餃子食べましょう、餃子。駅ビル内にもありますし、ちょっと街に出ても良いですし。
宇都宮の餃子は、特に個性があるとか、特別においしいとかそういうワケではないですが、地域に根ざした日常のちょっとおいしいもの、という感じです。野菜中心のあっさり味で、パクパク食べられるような(個性的なものも登場していますが)。
宇都宮餃子で個人的にオススメの店は「香蘭」「正嗣」です。「みんみん」も一度は行きたい定番ですね。
尾久駅
鉄道好きなら、尾久駅も途中下車にオススメです。隣に広大な尾久車両センターが広がり、山手線の田端駅まで散策すれば、機関車や新幹線の車庫(東京新幹線車両センター)も見られます。
列車の記憶
寝台特急「北斗星」
青函トンネル経由で、上野~札幌間を結んだ寝台特急列車(ブルートレイン)。宇都宮線内では、EF81形電気機関車が24系客車を牽引する形で運転されていました。
最大で1日3往復の運行があった、寝台特急「北斗星」。正直なところ、「特別な列車」という感覚は、さほどなかったと思います。
が、しばしばその先頭に、EF81形のうち特に個性のある2機――「お召し機」EF81形81号機、「虹ガマ」EF81形95号機が登場すると、「特に特別な列車」として心を躍らせながら、撮影に出かけたものです。
寝台特急「北斗星」が運転を開始した1988年(昭和63年)3月13日(日)当日、中学生だった私は宇都宮線の線路脇でその列車を見送ったのですが、上野発札幌行きの1番列車「北斗星」1号は95号機、2番列車「北斗星」3号は81号機の牽引でした。なお、3番列車「北斗星」5号の牽引機は……なんでしたっけ?
ちなみに1988年当時、まだ「宇都宮線」の愛称はなく、「東北線」と一般的に呼ばれていました。
快速「フェアーウェイ」
新宿~村上間を結んでいた夜行快速「ムーンライト」の間合い運用で、新宿~黒磯間を結んでいた全車普通車指定席の快速列車。写真を撮影した1988年(昭和63年)は、「ムーンライト」用の165系電車3両、もしくは6両編成で運転されていたと思います。
1988年3月の時刻表によると、下り列車は新宿発6時24分で、黒磯着9時03分。上り列車は黒磯発16時44分で、新宿着19時17分。当時は湘南新宿ラインも上野東京ラインもなく、宇都宮線の上り列車は上野行き、池袋行き、大宮行き(1本だけ)だったなか、珍しい新宿行きでした。
この快速「フェアーウェイ」、見かけることが結構ありましたが、乗客は少なかった印象です。土休日はまだ乗っていたように思いますけれども、平日はガラガラに近いような……。
貨物列車「ニッサン号」?
宇都宮線では、日産自動車の栃木工場(栃木県上三川町)で製造された自動車を、ク5000形車運車に載せて運ぶ貨物列車「ニッサン号」も運転されていました。
おもに輸出用の自動車を、宇都宮線の石橋~雀宮間にある宇都宮貨物ターミナル駅から、横浜市中区の本牧埠頭駅まで運んでいたそうです。
「ニッサン号」が、ク5000形だけで組成された貨物列車を指すのだとしたら、1988年(昭和63年)に撮影したこの貨物列車は、コンテナ車をあわせて連結しているため「ニッサン号」ではありませんが、同様に宇都宮貨物ターミナル駅から日産の新車を運ぶ列車だったと思います。
残念ながら写真には収めていないですが、新車を満載した「ニッサン号」、「運んでる」感が強くて、好きでした。当時の私は自動車にはあまり興味がなく、どんな車種が運ばれていたか覚えてないのが残念です。
駅の記憶
上野駅
高架ホーム、地下ホーム、地平ホームがあるJR上野駅。その地平ホームのいちばん西側にある13番線は2024年現在、おもに寝台列車「カシオペア紀行」、豪華寝台列車「TRAIN SUITE 四季島」が使っていますが、昔から「北斗星」などのブルートレインが多く発着したホームでした。
なので、もし「カシオペア紀行」や「TRAIN SUITE 四季島」が上野駅で、この13番線ホーム以外から発着したら、私には違和感がすさまじいです。
なお、現在は「TRAIN SUITE 四季島」乗降専用の「13.5番線」とされているホームは、かつて荷物ホームで、写真のように折り返し車内清掃中の中電もドアを開け、その作業時に使っていました。
尾久駅
尾久駅は、そのすぐ隣に広大な車両基地「尾久車両センター」があります。現在のそこにはE231系やE233系が目立ちますが、1980年代後半はブルートレイン車両や12系、14系の座席車が多く見られました。
宇都宮線の車内から尾久車両センターを撮影した1988年(昭和63年)の写真には、急行「八甲田」「津軽」のものでしょうか、14系の座席車とEF64形電気機関車、そして茶色いEF58形電気機関車がいます。
EF58形は89号機です。現在は鉄道博物館に収蔵されていますが、当時はおもに宇都宮線、高崎線方面でのイベント列車で、しばしばその先頭に立っていました。
当時、宇都宮線で運転される電気機関車で特別な存在だったのは、「スーパーエクスプレスレインボー」色のEF65形1019号機、EF81形95号機、「やすらぎ」色のEF60形19号機、「くつろぎ」色の茶釜EF64形1001号機、お召し機のEF81形81号機、そしてこのEF58形89号機。まれに「ムーミン」EF55形1号機、「ロイヤルエンジン」EF58形61号機も来た気がします。
これらはJR東日本の機関車ですが、さらにJR貨物の試験塗装機EF65形1059号機、1065号機もいましたね。
JR東日本の機関車全廃がささやかれるいま、2020年代からすると、なんだか嘘みたいに思えてきます。
同じく1988年(昭和63年)に、宇都宮線の車内から尾久車両センターを撮影した写真。上野~秋田間を上越線、羽越本線経由で結んでいた寝台特急「出羽」の24系客車などが写っています。信号機のポールも、時代を感じますね。
2024年6月現在、この車両基地をねぐらに営業運転している客車は、E26系「カシオペア」だけになってしまいました。