JR常磐線(品川~いわき)とその駅、列車、沿線などについて、鉄道ライターの恵 知仁が個人的な経験に基づき、ご紹介します。何かのお役に立てましたら幸いです。
内容は正確を期すよう努めていますが、記憶違いが紛れているかもしれません。写真はトリミングしている場合、現在とは異なる社会的状況で撮影された場合があります。
路線の概要
- 区間・距離・鉄道会社
- 品川~いわき、222.2km、JR東日本
- 駅
- 品川、新橋、東京、上野、日暮里、三河島、南千住、北千住、綾瀬、亀有、金町、松戸、北松戸、馬橋、新松戸、北小金、南柏、柏、北柏、我孫子、天王台、取手、藤代、龍ケ崎市、牛久、ひたち野うしく、荒川沖、土浦、神立、高浜、石岡、羽鳥、岩間、友部、内原、赤塚、偕楽園、水戸、勝田、佐和、東海、大甕、常陸多賀、日立、小木津、十王、高萩、南中郷、磯原、大津港、勿来、植田、泉、湯本、内郷、いわき
- 補足事項
- 常磐線は日暮里駅と岩沼駅を結ぶ路線ですが、実際は東海道線の品川~東京間、宇都宮線の東京~日暮里間、東北本線の岩沼~仙台間とあわせて運行されており、ここではそのうち品川~いわき間をとりあげています。東京駅方面に直通する列車は、「上野東京ライン」とも呼ばれます。
列車
ふれあい(ミト座)
1988年(昭和63年)のある日、上野駅に行くと、何かがEF81形電気機関車を先頭に、頭端式ホームへ頭を突っ込んでいました。
水戸客車区のお座敷客車「ふれあい」です。当時、正式な愛称である「ふれあい」とあわせて、「ミト座」とも呼ばれていた車両です。
このころ、JR各社には新型ジョイフルトレイン、新型特急がきらびやかに登場。青函トンネルと瀬戸大橋が開業し「一本列島」も実現した当時の日本の鉄道とその趣味業界には、分割民営化の熱、夢と希望があふれていました(少なくとも中学生の私には、そう見えました)。
そうしたなか正直、旧型客車を改造して誕生した「ふれあい(ミト座)」は、旧型客車のあとの世代で、当時は中学生だった私にとって、あまり魅力的ではなかった覚えがあります。
いまにして思えば、旧型客車のジョイフルトレインはエモいような気もしますが、「ふれあい(ミト座)」自体、品川客車区に12系を改造した和式客車「江戸」が登場したことにより、水戸客車区へ都落ち(失礼)した車両だったため、中学生には魅力がよく分からなかったようです。
編成のお尻側を見ると、スイッチのようなものに足をのせた係員がいます。これから推進運転で、尾久客車区へ入るところだったのでしょう。
1980年代を感じさせます。「ふれあい(ミト座)」がではなく、半ズボンにハイソックスの少年が。
ちなみに、この「ふれあい(ミト座)」の写真を撮影したとき、同時に(もしくは非常に近い時間に)上野駅では、EF81形電気機関車を先頭にした編成がもう一本、頭端式ホームへ頭を突っ込んでいたようです。